Long yellow road toshiko akiyoshi biography
穐吉敏子
龝吉 敏子[注釈 1](あきよし としこ、英: Toshiko Akiyoshi、年12月12日[1] - )は、ニューヨーク在住の日本人ジャズピアニスト、作曲家、編曲家、ビッグバンドリーダー。娘はミュージシャンのMonday満ちる。
来歴
[編集]満洲(現、中国東北部)遼陽[1]に日本人の両親の元に生まれた。小学1年生のときに3年生が弾く『トルコ行進曲』に魅せられ、小学1年生でピアノを習い始める。後に女学校に通うためと、より良い教師にピアノを習うために大連に移り、大連音楽学校で中国人の楊孝毅にピアノを習う。敗戦後に大分県に引き揚げ、別府の駐留軍キャンプ「つるみダンスホール」でジャズピアニストとして演奏を開始。
年夏に上京して、年コージー・カルテットを結成。年に来日したオスカー・ピーターソンの勧めでレコード『トシコ』を録音。
年7月、伊勢佐木町のクラブ「モカンボ」で、守安祥太郎を中心に行われた伝説的なジャム・セッションに参加。その時の音源は年代に発掘・発売される。
年、26歳で単身渡米して、日本人としては初めてバークリー音楽院(Berklee College of Music、現バークリー音楽大学)で奨学生として学ぶ。年、チャールズ・ミンガスのバンドに参加。年、最初の夫チャーリー・マリアーノとの間に娘のマンディ満ちるをもうける。年離婚。
年に現在の夫でありフルート、テナーサックス奏者のルー・タバキンと出会い、年結婚。年にロサンゼルスで秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンドを結成し、年、ジャズと日本古来の和楽を融合した『孤軍』を発表する。年にはニューヨークへ戻り、年に秋吉敏子ジャズオーケストラ フィーチャリング ルー・タバキンを結成、自らの作編曲で通算30年にわたって活動を続け世界的に名声を馳せた。その評価と人気を示すものとしてアメリカのジャズ専門誌ダウンビートでは秋吉とルーのビッグバンドは批評家投票で年から5年連続、読者投票では年から5年連続で共に1位を獲得している。
グラミー賞では計14度ノミネートされるが未受賞に終わっている。これは歴代8位の記録である。
年度に主にその著書『ジャズと生きる』で第9回ミュージック・ペンクラブ・ポピュラー部門最優秀賞を受賞。年12月29日、ニューヨークのジャズクラブバードランドでの演奏を最後にオーケストラを解散した。
年6月-7月にはNHK人間講座で講師を担当。年1月27日、米国を拠点にピアニスト、ビッグバンドリーダーとしてジャズ発展に寄与した功績が認められ、朝日新聞文化財団の朝日賞(04年度朝日賞)を受賞[2]。東京・日比谷の帝国ホテルで開かれた受賞祝賀パーティーでは、木更津甚句に想を得た「ザ・ヴィレッジ」、「ヒロシマ そして終焉(しゅうえん)から」の最終楽章「ホープ」、「鞠と殿さま」の3曲を、ソロで演奏した。年12月、キャリアにおいて初となるシングル「HOPE 希望」を発表。現在はソロなどで活動中。
テレビ出演
[編集]受賞歴
[編集]他多数
音楽
[編集]→「穐吉敏子の楽曲一覧」も参照
アルバム
[編集]秋吉敏子=ルー・タバキンビッグバンド
[編集]秋吉敏子ジャズオーケストラ フィーチャリング ルー・タバキン
[編集]ソロ・トリオ 等
[編集]コンピレーション
[編集]チャールズ・ミンガス
[編集]鈴木良雄
[編集]オムニバス
[編集]- ジャズ・アット・オペラ・ハウス (オムニバス) - Jazz at Opera House(年、年2月22日録音) ウィントン・マルサリス, ウェイン・ショーター, ハービー・ハンコック, チャーリー・ヘイデン, トニー・ウィリアムス, ボビー・ハッチャーソン, ジャコ・パストリアス, デニー・ザイトリン, 秋吉敏子, ルー・タバキン
シングル
[編集]DVDオーディオ
[編集]- ラストライヴ・イン・ブルーノート東京 - Last Live in Blue Communication Tokyo(年)
文献
[編集]著書
[編集]参考文献
[編集]エピソード
[編集]- 横浜のクラブ『モカンボ』では、ジャズギタリストとして活動していた植木等と共に演奏していた時期もある。また、ハンプトン・ホーズが進駐軍の将校として来日していた際にもセッションをしたことがある。
- 穐吉がニューヨークへと渡った後、後任のピアニストとしてモカンボに入ったのが桜井センリである。
- 渡米直後に行ったライブで、偶然演奏していたポール・チェンバースのベースを聴き、「アメリカのベーシストは皆こんなにうまいのか」と驚愕した。
脚注
[編集][脚注の使い方]
注釈
[編集]- ^「龝」「穐」「秋」は互いに異体字(字体は異なるがおなじ字種)であり、「龝吉 敏子」は「穐吉 敏子」「秋吉 敏子」とも表記される。